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マルコ・ポーロ

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これは、今から、八百年も前のお話です。
イタリアのある大きな町に、マルコ・ポーロという青年が住んでいました。
かれは、毎日のように、東洋のことを考えていました。
「東の方には、いったい何があるのだろうか。」
「どんな人が住んでいるのだろうか。」
まだ、だれも行ったことがないので、だれに聞いても、どんな本を読んでもわかりません。
しかたがないので、自分で東洋に行ってみることにしました。
すべての用意が整ったある秋の早期、マルコ・ポーロは父親と出発しました。
その当時は、まだ東への道がなかったので、草を切り開き、池をよけて、また、山をこえて、道を作りながら、歩いて行かなければなりませんでした。
雨の日も、風の日も、東にむかって、休まず歩いて行きました。
森をぬけ、野をこえて大小さまざまな町や村も通りました。
そして、高いヒマラヤ山脈こえて、やっと、中国とい国にたどりつきました
そこは、とても大きな国で、たくさんの人々が住んでいました。
頭のは黒く、目は茶色です。
でも、みんな、たいへん親切でした。
マルコ・ポーロは、「すばらしいところだな。」と思いました。
そこで、かれは、しょうゆラーメンを食べて、そのおいしさに、またまたびっくりしました
元気をつけたかれは、まだをやめず、歩き続けました。
そして、とうとう、日がのぼろうとしている時に、海にたどりつきました
海の向こうを見ると、一つの小さな島が、遠くに、とてもうつけしく、光って見えました。
マルコ・ポーロは、「あの島は、きっと黄金の島だ。」と思いました。
中国人に島の名前をたずねると、「日本(ジーペン)」と答えました。
これが、日本を、「ジャパン」とよぶようになったはじまりだと言われています。
そこでをおえたマルコ・ポーロは、中国のめずらしいものや、おいしかったラーメンの作り方を手帳書きとめて、イタリアへ帰りました。
イタリアへ帰ったかれは、母や兄弟姉妹に、おいしいラーメンを食べさせてあげようと思いました。
手帳に書きとめた作り方通りに、メリケン粉ねってうどんのようなラーメンを作りましたが、おしょうゆをもって来なかったことに気がつきました。
いろいろ考えましたが、しかたがないので、大体同じ、赤い色をしたトマト・ソースをラーメンの中に入れました。
これが、イタリアのスパゲッティのはじまりだと言われています。
このお話は、少々冗談まじりのお話ですが、十三世紀に、確かに、マルコ・ポーロは、お父さんと中国に行って、当時東洋のことを西洋の人々に紹介しました
マルコ・ポーロの時代と比べてみると、日本も世界大分変りましたが、
今日、二十世紀に住む私たちの中にも、マルコ・ポーロのように、東洋一角にある島国日本は、
一体全体どんな国なのか知りたがっている人が、たくさんいることだと思います。
あなたも、マルコ・ポーロになったつもりで、この本を楽しく読んでみてください。
日本語の勉強になるだけでなく、日本の文化地理歴史などについても、
マルコ・ポーロ以上に知識深めることができるだろうと思います。