Instructions: Use the button to listen to a sentence. Use the button to show a translation.

横浜の港

Listen to Whole Story

空と海のかすかにしか見えない水平線から、ゆっくりと向だってくる大きな船。
だんだん、だんだんと、その水平線に向かって消えていく小さな船。
夏の風に、三角の真白なふくらませと行き来するヨット。
名残惜しそうに、青い空を飛び回るかもめたち。
それに返事をするかのように、ボーッ、ボーッと汽笛が聞こえる横浜の港。
泰平のねむりを覚ますじょうきせんたった四はいで夜もねられず。」
(「泰平」とは、平和という意味で、
「じょうきせん」とは、とても上等なお茶、上喜撰とアメリカの蒸汽船とをかけたことば。)
1853年、横浜の近くの浦賀にやって来た四黒船を見て、日本中が大さわぎになりました。
そんな世の中を笑って歌った、こんな狂歌がはやったのも、もう百数十年も前のことです。
この百数十年の間に、横浜は、遠い外国からやって来る観光客、輸出入品
そして、まだ見たこたもない国々へ旅立つ人々で、みるみる発展を続けてきました。
特に、まだ飛行機が現在のように発達していなかったころは、
船が日本と外国を結ぶ、唯一輸送機関でした。
最近、船で行き来する旅行者は、少なくなってきましたが、
むかしは、この横浜が、日本を訪れる人を出迎えし、日本を去って行く人々に別れを告げる
いわゆる、日本の玄関のようなものでした。
デッキから投げられた赤、白、緑、黄色などの色とりどりのテープをしっかり握り
ほおを流れる悲しい涙をぬぐいながら、
ハンカチをふりふり別れを惜しむ人々の姿を大桟橋でよく目にしたものです。
今は、日本経済の発展と共に、情緒あふれる港町と言うよりも、
輸出入品取り扱う貿易港と言った方がよいようで、
貨物船が多く、また港の回りの埋め立て地には、大きな工場、倉庫、石油タンクが太平洋に面して立ち並んでいます。
でも、外人墓地中華街、伊勢崎町などのように、
開港のあとに訪れた外国人の面影しのばすをあちらこちらに残しているのが横浜の町です。
横浜の山の手か港湾の灯台の上に上り、はてしない太平洋を見ていると、
こうして未知の国々へ、大きな希望をもって飛び立って行った日本人、
また好奇心いっぱいで、東洋の島国にやって来た外国人たちのことが、
寄せてくる波のように思い出されてきます。