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万葉集

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万葉集」は日本で一番古い歌集です。
4500和歌を20集め歌集で、西暦780年大伴家持という有名作家現在のような編集したと言われています。
」には、「万の葉」とか「万の世」という二通りがあります。
前者はたくさんの歌を集めたものという意味で、後者何万年もの間、つまりいつまでも「万葉集」にのっている歌を伝えようというの人の心を表しています。
万葉集」の中に収めてある歌の作者には、天皇貴族役人のように地位の高い人々だけではなく、現在軍人にあたる防人田畑耕す百姓ついに乞食のような者までいました。
山上憶良山部赤人柿本人麻呂額田王などは特に有名歌人で、日本人のほとんどの人に知られている名前です。
純粋素朴の人の考え方、生活手に取るようにわかる優れた歌集です。
どのような歌が収められてあるのか、山上憶良という歌人残した歌を二、三とって説明してみましょう。
憶良子供多かったせいか、子供についての歌をたくさん作りました。
中でも一番有名な歌の一つに、「なにせんにまされる子にしかめやも」というのがあります。
これは「その宝石貴いでしょうが、子供以上大切宝物があるでしょうか、ありませんよ」という歌です。
子供へのをこれほど上手に歌った歌は世界でも数少ないのではないでしょうか。
憶良九州監査する役人をしていましたが、その時の経験をよく歌にしています。
一度漁業営む志賀島という小さな島を訪ねた時、こんな話を耳にしました。
この島に住んでいる漁師対馬駐屯していた防人達に食料運ぶことになりました。
しかし、漁師あまり年をとっているので危険な海に出ることをやめて、若い漁師荒雄に自分の代わり行ってもらうことにしました。
ところが、ひどい急の荒雄乗っていたんでしまい荒雄行方不明になってしまいました。
荒雄は「死んでしまったとはどうしても思えないのです。もう8年間も食事時になると、ご飯茶碗盛ってに出てみるのですが。」と言って目に手をあてました。
働く亡くしたや子の悲しみや生きていく苦しみを思うと、憶良胸が痛くなって慰め言葉も出てきません。
そして気持ちを次のような歌に詠みました。
荒雄ら来んか来じか飯盛りて門にいでたち待てど来まさず
憶良このほかに貧しい農民生活ありのままに描いた「貧窮問答の歌」という作品も残しました。
これを読むと、当時農民がいかに苦しい生活をしていたかということがしみじみと感じられます。
このようないろいろな歌が集められてできあがったのが「万葉集」です。
人間の心や考えや生活率直に表された、日本だけでなく世界でも代表的古典詩集だと言っても、言い過ぎではないと思います。