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藤原道長

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京都の近くの宇治という町に平等院というお寺があります。
お寺と言っても、鎌倉などで見るお寺とは大分異なっており、貴族のお屋敷とでも言った方がいいような建物です。
この寺は、藤原道長息子頼通という人が、元別荘だった所をお寺直したものです。
現在残っている部分は元の建物ほんの一部に過ぎませんが、当時貴族生活様式をとてもよく表しています。
藤原家平安時代非常に力の強かった一族です。
その当時藤原家でないものは人間ではないとまで言われたほどです。
特に藤原道長頼通は、その勢力一番強かったと言われています。
藤原道長実際に天皇ではありませんでしたが、政府一番高い地位につき、自分の天皇結婚させ天皇にしてしまうほどの力の持ち主でした。
この世の中で自分にできないことは何もないと、こんな歌まで作りました。
この世をばわが世とぞ思うもち月かけたることもなし思えば
長のような貴族達は、宇治平等院のような大きくてきらびやかな屋敷に住み、浮かべて音楽や和歌などを楽しんだのです。
京都に住む貴族達が、どうしてこんなにぜいたくな生活ができるようになったのか、日本の歴史少々さかのぼって見てみましょう。
貴族政権左右するようになった平安時代の前の奈良時代には、班田収授法と言って土地全部国のものにする法律がありました。
ところが、人口増加とともにその土地がだんだん足りなくなり、人々が新しい土地開発始めました。
そして、その開発された土地は国のものでなく、それを開発した人のものになりました。
もともと力のあった貴族達は、農民集め新しい土地開発進めました。
また、貴族達は自分達の持っている土地に国の税金がかからないようにしたので、新しく開発された土地を持つ人々はなるべく力の強い貴族土地あげ、自分達はそこで働き貴族達に守ってもらうようにしました。
このような土地荘園と言いますが、藤原家は最も力のあった貴族なので、この荘園どんどん増やしていき、ぜいたくはなやかな生活ができたのです。
このようなはなやかな貴族生活を物語にして作った小説が「源氏物語」です。
これは今から千年に書かれたものですが、これほど古く、しかもこのように大がかり優れた作品は、世界にもちょっと見あたらないのではないかと思われます。
源氏物語」を書いた女流作家紫式部長と同時代の人で、中宮(今の皇后陛下にあたるような方)になっていた長の屋敷仕えていたことがありました。
また、紫式部父親長と知り合いだったので、長のことをよく知っていたと思われます。
きっと長のような人の生活ぶりなどが「源氏物語」の題材になったに違いありません
宇治平等院を見ていると、平安時代に花を咲かせた藤原家きらびやかな生活思い浮かべられ幾重もの長い着物着た黒髪美しい女性が今にもを出て来るような気がします