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幕末と明治維新

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1853年、6月3日のことです。
日本人のもがまだ見たこともないような大きな軍艦4隻煙突からもくもくと煙を出して浦賀港に入って来ました。
今まで、長崎出島以外全く外国人との交わりがなく、西洋近代の発明発見耳にしていなかった日本人達は、びっくりしてしまいました。
アメリカの司令長官ペリーは、日本の開国を求める大統領の国書を幕府差し出すと、ひとまず立ち去りましたが、翌年、今度は7軍艦率い江戸湾侵入し、国交を開くよう求めてきました。
幕府は、どうしても鎖国続けるわけにはいかなくなり、とうとうアメリカと日米和親条約結び開国することにしました。
長い間外国人との交際がなかった日本人は、この開国めぐって大きく動揺しました。
外国人と貿易などを始めると日本の政治社会乱れてしまうと言う攘夷論者と、幕府倒し政治天皇に返せと言う尊王論者とが一緒になり、幕府の力を一生懸命維持しようとする人達と激しく争いました。
尊王攘夷論を推進し中心人物は、薩摩藩現在鹿児島県)の西郷隆盛長州藩現在山口県)の桂小五郎などです。
尊王攘夷論者は勤王の志士と呼ばれて京都朝廷回りで力を増していきました。
幕府はこういう志士達を捕えるために新撰組という特別な武士達を選び取り締まり厳しくしました。
しかし、このような弾圧かえって尊王攘夷論者の幕府対する反感募らせ、1860年、雪の中を桃の節句祝い出席するため江戸城へ向かう途中幕府大老現在首相井伊直弼江戸城桜田門の外で刺し殺されました。
井伊大老失った幕府急に力が衰え尊王攘夷論を尊王討幕論に変えた勤王の志士達の力を抑えることができなくなり、ついに政権天皇に返すことにしました。
こうして、明治天皇が位につき、都を京都から江戸移し、1868年、江戸東京改めて、日本は近代国家建設出発したわけです。