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世界の中の日本

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日本は、国が統一始めから既に海外に目を向けていた。
遣隋使遣唐使中国からの影響は、奈良京都の町だけではなく、日本語や日本文学にも見られるように、一般の生活様式にまで及んだ
中世に入っても、キリシタン宣教師南蛮商人通じて当時のヨーロッパ、特にスペイン人やポルトガル人がもたらした宗教戦術は日本の歴史を変えたと言っても過言ではない。
海外との交流禁じ鎖国時代ですら、出島通して入ってきていた蘭学は、幕末に日本を動かした人々の考え方の土台となったと言われている。
また、明治維新後にヨーロッパから入ってきた思想科学技術は、文明開化と言われるように、日本全体を変えてしまった。
しかし、戦後のアメリカがもたらした影響ほど、現在の日本を変えたものはにはないのではないか。
アメリカからの外来語なしに日本語が話せなくなってきたほどである。
確かに人間知識やそれが生み出す技術によって範囲度合こそ違うだろうが、ソトからの影響ウチを作り上げていくというのは人間普遍性、少なくとも、日本人の習性のように思われる。
しかし、科学技術発展地球がこれほど小さくなってくると、何、あるいはソトと呼びウチとするか判断がつかなくなってくる。
そもそも国や国境そのものに対して疑問抱く人々も出てきている。
過ぎ去った20世紀には、この人間が線を引く国境のために多く犠牲になった。
第一次、第二次世界大戦という世界巻き込まれた大戦争朝鮮ベトナム湾岸戦争等の戦争続きで、世界戦国時代とも言うべき百年だった。
21世紀に入り、コンピュータのY2K問題無事に終了したかと思うと、前代未聞の米国同時多発テロ勃発し、アフガン戦争開始
これからも内乱紛争戦争絶えないような気がする。
時代、場所、スケールこそ違うが、長明の言ったごとく、「よどみ浮かうたかたかつ消えかつ結びて」いくようだ。
新しい千年の始まりは、日本人だけでなく人類が通らなくてはならない転換期だと言われている。
これは、16世紀コペルニクスがそれまでの天動説を正し、地動説唱えたように、自国中心ではなく、世界中心の世界観変わらなくてはいけないということである。
つまり、従来ウチからソトを学ぶのではなく、ソト中心で、ウチ単なるその一部であるということを知ることである。
イギリスのバラクラフ教授という著名な歴史学者発表したことだが、現代は「グローバル・スィビリゼーション全地球文明)」の時代になったとしている。
しかし、いかにグローバルな世の中になっても、健全なナショナリズム愛国心捨てろとは言えないだろう。
人間生活で自分の生まれた郷土伝統忘れないのと同じように、生まれた国土やその歴史無視することができないどころか、それから学ぶべきである。
論語の中に、「温故知新」ということばがあるが、過去から学び、ますます小さくなっていく将来世界で、人間がどのような営みをすべきか知る必要があると思う。
このような時代に生きる人達は、どのような世界を作り、どのような歴史をこれから記していくのだろうか。