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日蓮

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1185年、源義経率い源氏追いつめられ、幼少の安徳天皇瀬戸内海の海の中へ身を投げて平家共にしました。
そして、1192年、源頼朝鎌倉幕府を開きました。
それから30年後、安房の国現在千葉県安房郡)の小さな漁村に男の子が生まれました。
貧しい漁師の家でしたが、お父さんとお母さんは、その当時世間一般に盛んだった浄土宗熱心な信者でした。
ですから、きっとその子も小さいから「南無阿弥陀仏」のお経習得していたことでしょう。
その子が12になると、どうしても自分に納得のいかない疑問が二つ出てきました。
その疑問両方とも宗教関連したことですが、一つは歴史的、政治的なものでした。
というのは、仏教では、仏法基づいて政治を行えば、国がおだやかになり平安になると信じています。
日本の国もその当時これを信じほとんどの人仏教信じていました。
ところが、国は平和どころか国民代表とも言うべき天皇がこのように海の中に自殺していったり、また、天皇家の人々武士政権争いに巻き込まれて悲惨な死に方をしています。
これは一体どうしてなのだろうかというのが、一つの疑問でした。
もう一つは、この真実であるはずの仏教にも、どうしてそんなにたくさんの宗派があるのかということでした。
この少年は、この二つの疑問解くために、日本中ありとあらゆるものを勉強し一番い者となり、どの仏教一番正しいか探しあてるという固い決心をしました。
そして16の年で出家し、仏教経典研究始めました。
この少年こそが、のちのちまで日本の宗教界影響を及ぼすようになった日蓮です。
日蓮は、この二つの疑問解決しようと、鎌倉のいろいろなお寺をはじめ、ついには、その当時仏教中心であった比叡山にも登り修行をしました。
そして、その二つの疑問に対してだいたいの答えを経典の中に見つけて比叡山を下り、自分の信じ説き始めました。
それは、日蓮が32の時でした。
日蓮得た解答は、その人々が信じていた浄土宗禅宗はすべて間違っている仏教真の教え法華経である、日本の国がいろいろな災難にあうのも、人々が間違った宗教信じているからである、ということでした。
このような教え説き始め日蓮は、宗派信じる人々から大変な迫害受けました。
特に日蓮は、折伏といって、自分に反対する人達にも真向から説き伏せる方法をとったので、たくさんの人々からとても憎まれました。
そしてほら穴閉じ込められたり、飲まされそうになったり、伊豆佐渡島流しにもされたりして、落としそうな経験何度もしました。
しかし、自分が正しい教え教え聖人となるには、このような苦しみ受けるのは、はじめから覚悟していたようです。
そして、間違った宗教捨て法華経従わなかったら、日本はきっと外国から侵略されると予言始めたのです。
この予言は、元冦という、日本の歴史上初めての外国人の侵略成就されました。
この予言成就したのちは、今まで日蓮反対していた人々や政治家達も、だんだん日蓮信じうようになっていきました。
このようにして、日蓮宗が日本全国根をおろすようになったのです。