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方丈記

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行く河ながれ絶えずして、しかももとの水にあらず
よどみ浮かうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし
上の言葉で始まる「方丈記」は、13世紀鴨長明によって書かれた随筆である。
この冒頭言葉は、日本人ならでも知っている程有名であるが、口語書き直すと、「流れて行く川の水は絶えることなくいつも流れているが、今流れている水はもとの水ではない。よどみ浮かんでいる水の消えたり結んだりして、長くとどまるものはない。この世の中に住んでいる人と、その住んでいるところもまた同様である。」という意味になる。
当時の日本人のはかない人生に対する無常観をよく表し言葉であると思う。
長明(ながあきらとも読む)は、下鴨神社という京都の近くにある神社の禰宜次男として生まれた。
若い父兄死別し、父のあとを継いで神官になるつもりでいたが、親戚にその奪われて出世ができなくなってしまった。
40を越した長明は、信頼できない世の中をうらみながら出家し、大原という所に隠れて静かな閑居生活始めた。
その後、日野外山移り、小さい「方丈」(約3メ−トル四方)のを作り、残り短い生涯を送ったわけである。
ここで長明一生顧みて、「おのづからみじかき運を悟りぬ」と書いて、「方丈記」を書き出した。
方丈記」には、その当時起こったいろいろな世の中の混乱災害が書かれている。
そして、そのようにゆくゆくは滅びていったりなくなったりしてしまうものに無駄なや力を注ぐ俗世間に生きる人間愚劣さ描いている。
対句仕立て文節通して仏教無常観当時都会生活のはかなさが見事に書き表されているのである。
随筆後半では、出家してからの自分の生活描き人に迷惑のかからない静かな山の中での生活が、いかに気楽味のあるものか説明している。
世のはかなさを逃れ深い山に籠った長明は、かたわら愛用琵琶を置き、そのほかには法華経阿弥陀絵像など仏道修行道具だけしか備えておかなかったそうである。
しかし、最後の章では、煩悩避け、心を修めるために山林籠ったものの、やはり自分の心はまだ濁っており、聖人になることができない。これは、前世からの貧賤報い悩むのだろうか、それとも迷いの心のせいなのだろうか、わからぬが、ただそっと南無阿弥陀仏」の念仏口にするという自問自答のことばで結んでいる。
方丈記」は、中世の人の心情巧みに描いた作として、現在高く評価されているが、山奥で一人寂しい生活を送った長明は、自分が残した随筆がこれほど多くの人に読まれるようになるとは、予想もしていなかったことだろう。
まして英訳されて外人にまで読まれるようになるなどとは、にも思っていなかったのではないか。