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行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず 行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず 行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず 行く河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず | |
The current of a flowing river never ceases, yet its water is never the same. | |
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし | |
The bubbles that float on the stagnant pools, at one moment disappearing, in the next forming, never last long | |
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし | |
People in this world and their houses are the same. | |
上の言葉で始まる「方丈記」は、13世紀に鴨長明によって書かれた随筆である。 上の言葉で始まる「方丈記」は、13世紀に鴨長明によって書かれた随筆である。 上の言葉で始まる「方丈記」は、13世紀に鴨長明によって書かれた随筆である。 上の言葉で始まる「方丈記」は、13世紀に鴨長明によって書かれた随筆である。 | |
"Hōjōki" (An Account of My Hut), which begins with the above words, is an essay written in the 13th Century by Kamo no Chōmei. | |
この冒頭の言葉は、日本人なら誰でも知っている程有名であるが、口語に書き直すと、「流れて行く川の水は絶えることなくいつも流れているが、今流れている水はもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は消えたり結んだりして、長くとどまるものはない。この世の中に住んでいる人と、その住んでいるところもまた同様である。」という意味になる。 この冒頭の言葉は、日本人なら誰でも知っている程有名であるが、口語に書き直すと、「流れて行く川の水は絶えることなくいつも流れているが、今流れている水はもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は消えたり結んだりして、長くとどまるものはない。この世の中に住んでいる人と、その住んでいるところもまた同様である。」という意味になる。 この冒頭の言葉は、日本人なら誰でも知っている程有名であるが、口語に書き直すと、「流れて行く川の水は絶えることなくいつも流れているが、今流れている水はもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は消えたり結んだりして、長くとどまるものはない。この世の中に住んでいる人と、その住んでいるところもまた同様である。」という意味になる。 この冒頭の言葉は、日本人なら誰でも知っている程有名であるが、口語に書き直すと、「流れて行く川の水は絶えることなくいつも流れているが、今流れている水はもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は消えたり結んだりして、長くとどまるものはない。この世の中に住んでいる人と、その住んでいるところもまた同様である。」という意味になる。 | |
These beginning words are well-known enough that all Japanese are familiar with them. Changed to modern Japanese the passage reads, "The water that streams in a flowing river never comes to a stop, but the water that flows there now is not the same as the original water. Of the bubbles floating on the stagnant pools, which seem to disappear at one moment and appear in another, there are none that last very long. The people living in this world and their houses are like that too." | |
当時の日本人のはかない人生に対する無常観をよく表した言葉であると思う。 当時の日本人のはかない人生に対する無常観をよく表した言葉であると思う。 当時の日本人のはかない人生に対する無常観をよく表した言葉であると思う。 当時の日本人のはかない人生に対する無常観をよく表した言葉であると思う。 | |
I feel these are words that express very well the sense of evanescence of the Japanese of the time regarding human life. | |
長明(ながあきらとも読む)は、下鴨神社という京都の近くにある神社の禰宜の次男として生まれた。 長明(ながあきらとも読む)は、下鴨神社という京都の近くにある神社の禰宜の次男として生まれた。 長明(ながあきらとも読む)は、下鴨神社という京都の近くにある神社の禰宜の次男として生まれた。 長明(ながあきらとも読む)は、下鴨神社という京都の近くにある神社の禰宜の次男として生まれた。 | |
Chōmei (his name may also be read Nagaakira) was the second son born to the Chief Priest of the Shimogamo Shrine, a shrine near Kyōto. | |
若い頃に父兄に死別し、父のあとを継いで神官になるつもりでいたが、親戚にその職を奪われて出世ができなくなってしまった。 若い頃に父兄に死別し、父のあとを継いで神官になるつもりでいたが、親戚にその職を奪われて出世ができなくなってしまった。 若い頃に父兄に死別し、父のあとを継いで神官になるつもりでいたが、親戚にその職を奪われて出世ができなくなってしまった。 若い頃に父兄に死別し、父のあとを継いで神官になるつもりでいたが、親戚にその職を奪われて出世ができなくなってしまった。 | |
He lost his father and older brother at an early age and thought he would succeed his father as a Shintō priest, but the position was usurped from him by a relative, and he was unable to advance in the world. | |
40を越した長明は、信頼できない世の中をうらみながら出家し、大原という所に隠れて静かな閑居生活を始めた。 40を越した長明は、信頼できない世の中をうらみながら出家し、大原という所に隠れて静かな閑居生活を始めた。 40を越した長明は、信頼できない世の中をうらみながら出家し、大原という所に隠れて静かな閑居生活を始めた。 40を越した長明は、信頼できない世の中をうらみながら出家し、大原という所に隠れて静かな閑居生活を始めた。 | |
Resentful of this untrustworthy world, Chōmei, now more than 40 years old, took Buddhist vows, hid himself in a place called Ōhara, and led a quiet life of seclusion. | |
その後、日野外山に移り、小さい「方丈」(約3メ−トル四方)の庵を作り、残り短い生涯を送ったわけである。 その後、日野外山に移り、小さい「方丈」(約3メ−トル四方)の庵を作り、残り短い生涯を送ったわけである。 その後、日野外山に移り、小さい「方丈」(約3メ−トル四方)の庵を作り、残り短い生涯を送ったわけである。 その後、日野外山に移り、小さい「方丈」(約3メ−トル四方)の庵を作り、残り短い生涯を送ったわけである。 | |
Later he moved to a mountain called Hino Toyama, where he built a small (about 10 feet square) hermitage, and spent the rest of his short life. | |
ここで長明は一生を顧みて、「おのづからみじかき運を悟りぬ」と書いて、「方丈記」を書き出した。 ここで長明は一生を顧みて、「おのづからみじかき運を悟りぬ」と書いて、「方丈記」を書き出した。 ここで長明は一生を顧みて、「おのづからみじかき運を悟りぬ」と書いて、「方丈記」を書き出した。 ここで長明は一生を顧みて、「おのづからみじかき運を悟りぬ」と書いて、「方丈記」を書き出した。 | |
There Chōmei reflected back on his life, and began writing his "Hōjōki," which includes the words, "I realized of myself the brevity of my fate." | |
「方丈記」には、その当時起こったいろいろな世の中の混乱や災害が書かれている。 「方丈記」には、その当時起こったいろいろな世の中の混乱や災害が書かれている。 「方丈記」には、その当時起こったいろいろな世の中の混乱や災害が書かれている。 「方丈記」には、その当時起こったいろいろな世の中の混乱や災害が書かれている。 | |
"Hōjōki" writes about various worldly disturbances and disasters that occurred at the time. | |
そして、そのようにゆくゆくは滅びていったりなくなったりしてしまうものに無駄なお金や力を注ぐ、俗世間に生きる人間の愚劣さを描いている。 そして、そのようにゆくゆくは滅びていったりなくなったりしてしまうものに無駄なお金や力を注ぐ、俗世間に生きる人間の愚劣さを描いている。 そして、そのようにゆくゆくは滅びていったりなくなったりしてしまうものに無駄なお金や力を注ぐ、俗世間に生きる人間の愚劣さを描いている。 そして、そのようにゆくゆくは滅びていったりなくなったりしてしまうものに無駄なお金や力を注ぐ、俗世間に生きる人間の愚劣さを描いている。 | |
It also depicts the foolishness of humanity pouring wasted money and energy into worldly things that, with the passage of time, are destroyed in that way. | |
対句仕立ての文節を通して、仏教的無常観や当時の都会生活のはかなさが見事に書き表されているのである。 対句仕立ての文節を通して、仏教的無常観や当時の都会生活のはかなさが見事に書き表されているのである。 対句仕立ての文節を通して、仏教的無常観や当時の都会生活のはかなさが見事に書き表されているのである。 対句仕立ての文節を通して、仏教的無常観や当時の都会生活のはかなさが見事に書き表されているのである。 | |
Utilizing a parallel sentence structure, he skillfully depicts the vanity of city life of the time, and the Buddhist sense of mutability. | |
随筆の後半では、出家してからの自分の生活を描き、他人に迷惑のかからない静かな山の中での生活が、いかに気楽で味のあるものか説明している。 随筆の後半では、出家してからの自分の生活を描き、他人に迷惑のかからない静かな山の中での生活が、いかに気楽で味のあるものか説明している。 随筆の後半では、出家してからの自分の生活を描き、他人に迷惑のかからない静かな山の中での生活が、いかに気楽で味のあるものか説明している。 随筆の後半では、出家してからの自分の生活を描き、他人に迷惑のかからない静かな山の中での生活が、いかに気楽で味のあるものか説明している。 | |
In the last half of his essay, he depicts his life after becoming a priest, and explains how tasteful and relaxed a quiet lifestyle, not posing difficulty to others, is. | |
世のはかなさを逃れ奥深い山に籠った長明は、庵のかたわらに愛用の琴、琵琶を置き、そのほかには法華経、阿弥陀の絵像など仏道修行の道具だけしか備えておかなかったそうである。 世のはかなさを逃れ奥深い山に籠った長明は、庵のかたわらに愛用の琴、琵琶を置き、そのほかには法華経、阿弥陀の絵像など仏道修行の道具だけしか備えておかなかったそうである。 世のはかなさを逃れ奥深い山に籠った長明は、庵のかたわらに愛用の琴、琵琶を置き、そのほかには法華経、阿弥陀の絵像など仏道修行の道具だけしか備えておかなかったそうである。 世のはかなさを逃れ奥深い山に籠った長明は、庵のかたわらに愛用の琴、琵琶を置き、そのほかには法華経、阿弥陀の絵像など仏道修行の道具だけしか備えておかなかったそうである。 | |
It is said that Chōmei, who shut himself up in a mountain to escape the emptiness of the world, placed on one side of his hut his beloved koto and biwa, besides which he provided for himself nothing else but Buddhist worship objects, including the Lotus Sutra and a portrait of Amida. | |
しかし、最後の章では、煩悩を避け、心を修めるために山林に籠ったものの、やはり自分の心はまだ濁っており、聖人になることができない。これは、前世からの貧賤の報いで悩むのだろうか、それとも迷いの心のせいなのだろうか、わからぬが、ただそっと「南無阿弥陀仏」の念仏を口にするという自問自答のことばで結んでいる。 しかし、最後の章では、煩悩を避け、心を修めるために山林に籠ったものの、やはり自分の心はまだ濁っており、聖人になることができない。これは、前世からの貧賤の報いで悩むのだろうか、それとも迷いの心のせいなのだろうか、わからぬが、ただそっと「南無阿弥陀仏」の念仏を口にするという自問自答のことばで結んでいる。 しかし、最後の章では、煩悩を避け、心を修めるために山林に籠ったものの、やはり自分の心はまだ濁っており、聖人になることができない。これは、前世からの貧賤の報いで悩むのだろうか、それとも迷いの心のせいなのだろうか、わからぬが、ただそっと「南無阿弥陀仏」の念仏を口にするという自問自答のことばで結んでいる。 しかし、最後の章では、煩悩を避け、心を修めるために山林に籠ったものの、やはり自分の心はまだ濁っており、聖人になることができない。これは、前世からの貧賤の報いで悩むのだろうか、それとも迷いの心のせいなのだろうか、わからぬが、ただそっと「南無阿弥陀仏」の念仏を口にするという自問自答のことばで結んでいる。 | |
Nevertheless, he ends the last part of his essay with the following soliloquy: "Although I have confined myself in the forest in order to discipline my heart and avoid worldly pollutions, my heart, after all, is still defiled, and I have been unable to become a saint. I don't understand whether I suffer as a just retribution from a former existence, or just because of my confused heart. All that is left is to quietly recite the nembutsu, 'Namu Amida Butsu,' from however defiled a heart." | |
「方丈記」は、中世の人の心情を巧みに描いた作として、現在高く評価されているが、山奥で一人寂しい生活を送った長明は、自分が残した随筆がこれほど多くの人に読まれるようになるとは、予想もしていなかったことだろう。 「方丈記」は、中世の人の心情を巧みに描いた作として、現在高く評価されているが、山奥で一人寂しい生活を送った長明は、自分が残した随筆がこれほど多くの人に読まれるようになるとは、予想もしていなかったことだろう。 「方丈記」は、中世の人の心情を巧みに描いた作として、現在高く評価されているが、山奥で一人寂しい生活を送った長明は、自分が残した随筆がこれほど多くの人に読まれるようになるとは、予想もしていなかったことだろう。 「方丈記」は、中世の人の心情を巧みに描いた作として、現在高く評価されているが、山奥で一人寂しい生活を送った長明は、自分が残した随筆がこれほど多くの人に読まれるようになるとは、予想もしていなかったことだろう。 | |
"Hōjōki" is highly appraised today as a work which skillfully depicts the emotions of people of the medieval age, but Chōmei, who spent a lonely life alone in the midst of the mountains, surely never expected the essay he left behind to be read by so many people. | |
まして、英訳されて外人にまで読まれるようになるなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。 まして、英訳されて外人にまで読まれるようになるなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。 まして、英訳されて外人にまで読まれるようになるなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。 まして、英訳されて外人にまで読まれるようになるなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。 | |
Furthermore, I am certain he never even dreamed it would be translated even into English and read by foreigners. |