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豊臣秀吉

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天文5年(1536年)1月1日、尾張の国、中村現在名古屋市)の百姓の家ににそっくりな一人の男の子が生まれました。
名を日吉丸と言い、小さいから大変いたずらで、いつも近所ガキ大将でした。
でも、この少年日吉丸が、後に織田信長仕え、何をやっても人一倍うまくやり、ついに信長一番頼りになる家来になりました。
そして1582年、信長本能寺明智光秀殺されると、すぐに光秀を討ち信長後継者となって天下統一成し遂げました。
そして室町末期から続いた戦国の世の中に、初めて平和もたらしたのです。
戦国時代には、いくら身分低くても武芸秀で戦い政治仕方極めて上手な者は、どんどん出世することができました。
これを下剋上と言いますが、戦国時代終止符を打った秀吉は、この下剋上一番いいではないかと思われます。
秀吉大胆な人で、何事にも規模の大きい事業行いました。
これは、秀吉らせた雄大な大坂城を見てもわかることだと思います。
大坂城は、毎日何万人もの人夫働いて、大きな石を遠い瀬戸内海の島々から運んで来てったものです。
秀吉建てた大坂(現在大阪)の町は、その後、いろいろな大名商人移り住み、商業中心地として栄えるようになりました。
この大坂城だけでなく秀吉大胆さを示しているもう一つのとてもいいは、朝鮮遠征です。
秀吉朝鮮から遠く中国、さらにインドまで征伐する大計画を立て、加藤清正小西行長などの有名家来朝鮮出兵させました。
しかし、予想外困難ぼう大な出費、また秀吉自身病気重なって、この遠征不幸にも失敗に終わりました。
この世でできないことは何もないと思われた秀吉も、やはり死にだけは打ち勝つことができませんでした。
この朝鮮に送った兵のこと、そして5になったばかりの一人息子秀頼のことを心配しながら、老衰病弱のためこの世を去って行きました。
照っていた太陽の光が急に去ってしまったかのように、秀吉亡くなる豊臣家はたちまち勢いを失ってしまいました。