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愛用の時計

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K氏は週末旅行に出かけるため、用意をととのえていた。
服のポケットのなかでは、ラジオ天気予報を告げていた。
<あすは、よいお天気でしょう・・・・・>
楽しげに口笛を吹きながら、K氏はハンケチを出し、腕時計軽くぬぐった。
これは彼のいつもの癖だった。
癖とはいうものの、頭をかくとか耳をつまむとかいう、意味もない動作とはちがっていた。
彼はその時計大切にしていたのだ。
大げさ形容をすれば、愛していたともいえる。
K氏がこれを買ってから、五年ほどになる。
デパート時計売場のそばを通ったとき、ガラスケースのなかに並べられた、たくさん時計一つがキラリと光った
ちょうど女の子ウインクされたような気がした。
また、「あたしを買ってくれない・・・・・」と、やさしく、ささやきかけられたようにも思えた。
古代異国金貨が、文字盤になっている
たまたま入社してはじめてのボーナスをもらった目だった。
「よし。買うことにしよう」
彼は思わずこうつぶやいた。
それ以来時計はずっと、K氏とともにいる。
K氏は、からだの一部ででもあるかのように扱った
彼はまだ若く、自分では定期的健康診断などを受ける気にはならなかったが、時計のほうは定期的に検査に出した。
別なのを使うその数日は、彼にとって、たまらなくさびしい日だった。
しかし、そのため狂ったりすることはまったくなかった。
進みすぎもせず、おくれもせず、正確時刻を、忠実に知らせつづけてきたのだ。
その時、ラジオ時報の音をたてた。
K氏は首をかしげた。
おかしいぞ。
時報狂うとは」
彼にとって、時計のほうを疑うのは、考えられないことだった。
だが、ダイヤルをまわし、ほかの局を調べ、時報が正しいのを知って、あわてた。
もはや、切符を買っておいたバスの、発車時刻にまにあわなくなっている。
彼は時計文句を言った。
「おい。
なんということをしてくれたのだ。
これだけ大切に扱ってやっているのに」
しかし、どうしようもなかった。
K氏は旅行中止し、散歩にでかけた。
そして、ついでに時計店に立ち寄った。
「変なんだ。
おくれはじめた。
せっかくの週末が、ふいになってしまった」
しかし、このあいだ検査をしたばかりですが・・・・・」
と、時計店の主人は受けとり、機械をのぞきこんでいたが、ふしぎそうな声で答えた。
「変ですね。
どこにも故障なんかないようです」
「そんなはずはない」
そのとき、ポケットに入れっぱなしになっていたラジオが、ニュースをしゃべった。
<観光シーズンです。
S山へ行くバスが・・・・・>
それを聞きながら、K氏は主張した。
「おかげで、このバスに乗りそこなったのだ。
たしかに、この時計はどうかしている
しかし、ニュースはそのさきをこう告げていた。
<・・・・・事故のため、谷へ転落して・・・・・>