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天の網

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三月一度かをこらのことだが、買物帰り喫茶店へ入ることがある。
周りテーブル若い人たちの話が耳に入ってくる。
気取っているな、いい格好をしているな、と思ってしまう。
二十前三時年前の私と同じ姿だな、とおかしくなってしまうのだ。
もともと見栄っぱりところがあったのだが、とりわけホテルロビーや酒落た喫茶店で人としゃべると、声も話し中身も、ひとつ背伸びをしたものになった。
自分のうちの茶の間で、あかぎれの切れた母の手がお茶を出してくれたり、ヘリの切れかかったやけた畳が目の前にあったら消してしない、気取ったになってしまうから不思議である。
あのときもそうであった。
場所有楽町の、ドイツ風の喫茶店である。
相手は、かなり様子のいい男性で、まるで新劇俳優演ずるハムレットみたいな声でしゃべった。
話題は、試写室でいま見たばかりのフランス映画から、デュヴィヴィエ論になり、仏教からドビュッシーからサルトルボーボワールにまで発展した。
私も、せいいっぱいの知ったかぶりで応戦した。
こういうときは、わが家の、草ぼうぼう生えた手入れの悪い庭も、当時まだ汲取り式だったポッチャンとはねかえってくるご不浄のことも忘れて、オフェーリアみたいな声が出る
ボーイが、半分嫌がらせのように手荒いしぐさで何度もコップの水をつぎにくる。
窓の外は、暗くなっていた。
食事でもいかがですか」
私たちの坐っている喫茶店は、二階レストランになっていた
チラリと上を見た彼の視線から考えて、二階へいって洋食をいただくことになりそうだ。
残念ですけど、ちょっと約束がありますので」
気がついたら、こう言っていた。
気取り限界に来ていたのかも知れない
相手も、そういえば、ぼくも人と逢う約束がありました、とハムレットのような声で言い、喫茶店の表でお別れをした。
その前から、私は風邪気味なのに気がついていた。
背中スースーして洟(はな)が出る
こういうときは、風邪薬より先に熱いおそばを食べるほうがいい
私は駅前のそば屋に飛び込んだ
そう言ってはなんだが、安直小さな店である。
きつねを注文したとき、ガラス戸があいて一人の男が入ってきた。
ハムレットであった。
こわばって棒立ちになった彼の顔は、叔父密通しているガートルード王妃の姿をみつけた時と同じだったかも知れない
私は、大きな声で笑った。
笑うしか仕方がなかった。
このときの私の声は、いま考えると研ナオコと同じ声ではなかったかと思う。
天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず」という。
老子のおことばで、天の法律広大で目が粗いようだが、悪人は漏らさずこれを捕える、という意味だということを、たしか女学校のとき習ったようだが、どうも私はこの天の網にすぐ引っかかるように出来ているらしい。
就職をして、最初締切残業のときに、私は編集長に嘘を言って早く帰った。
小さ出版社で、編集部といっても四人か五人であったから、それこそ深夜まで居残って割付けをしなくてはならなかった。
私はその晩、男友達芝居をさそわれていた。
どうしてもゆきたくて、新入社員分際怠けたのである。
ところが芝居が終ってあかりがついたら、すぐ横に社長が坐っていた。
ついこの間、面接をしたばかりの社長である。
具合の悪いことに、その日の夕方に、
「はじめての締切だな。
夜遅くなって、うちの方は大丈夫なの?」
などと、御下問賜ったばかりである。
逃げもかくれも出来ない。
私は、黙って最敬礼をした。
社長は、すこし笑って、何も言わずに出ていった。
友達事情をはなしながら、近所おいしいという評判コーヒー屋に入り、坐りかけたら、友達が私を突つく。
奥まった席に社長が坐っていた。
このとき、社長は、大きな声で実に明るく哄笑した。
今更出ることもならず、私たち入り口の席に腰をおろした。
社長は、私たちの分も料金払い笑いながら、私の頭を拳骨小突く真似をして出ていった。
私はこのあと九年間勤めたが、社長はこの夜のことを、編集長にも誰にも話さずにいたようである。
小さい出版社苦しい時間であり、正直いって月給高いとはいえなかったが、これだけ長く勤めた原因のひとつは、あの夜の社長笑い顔だったかも知れない
それにしても、私はよくこういう網にひっかかる。
天の網にはもういっぺん引っかかっている。
やはり人に誘われて口実をつくって残業をさぼり、新宿からバスに乗ったところ、そのバス京王電車とぶつかってしまったのである。
私は運転席のすぐ横の、三、四人掛けられるところに坐っていた。
左目の隅に入ってくる京王電車が見え、アッと思ったときはぶつかっていた。
運転手というのは本能的自分中心ハンドルを切るものだということが判ったが、その瞬間バスは猛スピード突切り、ぶつかったのはバス後半分であった。
いきなり真暗になり、うしろの席に坐っていた三、四人傷痍軍人が私の足許に転がってきた。
天井がはずれて、びっくりするほどの沢山の埃(ほこり)が落ちてきた。
まだ一一九番もなかったのか、間もなく来たのは米軍大型トラックである。
幸い死者重傷者もなかったらしいが、怪我をした人間を、一人ずつトラックに引っぱり上げている。
そのとき、私は偶然にも指に?疽(ひょうそ)が出来て繃帯をしていたせいか、引っぱり上げられそうになり、必死弁明して、手を振れ切り駅の方へかけ出した。
新聞にでも名前が出たらどうしょう。
二十三か四の私は、本気でそう考えていた。
天の網はまことに不公平である。
まるで蝶々かとんぼのように小さな嘘をついた女の子はつかまえるが、四億五億のほうはお目こぼしである。
もっとも天網ということばには、「かすみあみ」という意味もあるという。
いつの世でもかかるのは小さ小鳥だけなのかも知れない