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なんだ・こりゃ

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親不孝通りといえば、昔は金座みゆき通り、今は青山表参道から代々木公園遊歩道あたりではないだろうか。
最近、このあたりの日曜歩行者天国で、タケノコ族と呼ばれる若い人たちステレオラジオに合わせて踊り狂っているというので、散歩がてら出かけて見た。
話には聞いていたが、なるほど壮観である。
男の子女の子も、ズボンの上に桃色水色のスケスケの経帷子(きょうかたびら)みたいのを羽織り、数珠(じゅず)のような長いネックレスをじゃらつかせながら集団踊っている。
このアングラ風の衣裳を一番はじめにつくって売ったのがタケノコという名のブティックらしい。
いまでは製造が間に合わず、ここで踊っている若い連中ほとんどは、見ようみまねで手作りにした衣裳を着ているのだと言う
女の子のように化粧している男の子もいる。
絵具箱をぶちまけたようなグループ対抗するかのように上から下まで黒いサテン一色、音のほうはロックという一群みもいた。
何時間こうやって踊っているのか知らないが、おなかがすくだろうなあと感心して見ていたら、いきなり話しかけられた。
六十五、六の品のいい紳士である。
何か言っておいでらしいが、なにせ騒音大会なのでよく聞きとれない。
何度か聞き直して、やっと判った。
少々伺いますが、これは、なにをやっとるんですか」
なにをやっているのだろう。
私は正確答えることが出来なかった。
ごく短い期間だが、帽子作り習ったことがある。
二十代半ばのころで、出版社につとめていた時分であった。
週一度、先生お宅伺う個人教授である。
友人にさそわれたのだが、帽子洋裁と違って、縫ったりかがったりする量が圧倒的にすくない。
二回も通えばひとつ出来てしまう。
ちょっとした思いつきや感じ方が形や線に生かせるところも気に入って、仲間に入れてもらった。
本音は、お稽古のあとでご馳走になるサンドイッチがお目当てというところもあった。
二週間一個割合新しい帽子が出来るわけだが、習いたてのほやほやのために帽子注文をくれる奇特な人は滅多にない
私も相棒も、昼間勤めているわけだから自分帽子となると地味な当たりさわりのない形にしたいのだが、それでは腕が上がらない。
三度一度は、ヴォーグにのっているようなのもつくらなくてはならなかった。
或る晩、私と相棒は出来たての帽子をかぶって中央線にのっていた。
稽古帰りだったと思う
大胆帽子場合は、気恥しいので、ハトロン紙の袋に入れて抱えて帰るのだが、夜も更けていたこともあり、自分の頭にのっけたのだと思う
帽子は、人間の頭にかぶせるのが一番型崩れしないのである。
ならんで坐り、話に夢中になっていたら、頭の上から、声が降ってきた。
「なんだ、こりゃ」
初老労働者だった。
アルコールが入っているらしく、両手ブランコのように吊皮にブラ下がり、不思議なものを見るように私たち帽子眺めている。
その口調は、生まじめであり、からかってやろうとか、悪ふざけといったものは微塵(みじん)もなかった。
「なんだ、こりゃ」
彼はもう一度言った。
まばらに坐っていた車内人たち忍び笑いが聞こえた。
私と相棒は、今更帽子脱ぐわけにもゆかず、早く電車吉祥寺着くことを祈りながら下を向いて揺られていた。
同じようなことは、もう一度あった。
今から十年ほど前のことだが、新宿コマ劇場のそばでお酒を飲み、二、三人友人連れ立っていい機嫌で歩いていたら、地下の穴ぐら酒場のようなところでアングラ舞踊団公演をやっているのが目についた。
潜水艦のはしごのような階段をおれてゆくと中は真暗で、手さぐりで進むしかない
やがて、フイゴのような女のすすり泣きが聞え、一隅にうすいあかりがともった。
吹雪の中を、白い市女笠(いちめがさ)、白い衣裳旅支度若い女が、難渋しながら歩いてゆく。
どうやら彼女花嫁で、たったひとりで遠い土地見知らぬ男のところへ嫁いでゆくところらしい。
花嫁真白い化粧死人(しびと)のようにみえる。
風と雪にさいなまれ、肌もあらわねなった花嫁突如あらわれた男に手ごめにされる。
舞台暗転すると、天井からするすると格子がおりて女郎屋となり、赤い襦袢をかきあわせた女が、各席に向かって、格子の間から手を突出して、客を引いている。
その化粧は、さっきと同じく真白い死人の顔なのである。
こういったことを、おどろおどろしい舞踊劇でやるわけだが、このとき、男の声があった。
「なに、やってんの」
酔った初老の男であった。
そうとは知らず、地下バー間違えてはしご段をおりてきたらしい。
「ねえ、なにやってんの」
ぎゅう詰めの、五十人ほどの客が、一斉に振り向いた。
見映えのしないサラリーマン風の男が、レインコートを着て、カバンを抱いて立っていた。
冷やかすとか、わざと面白がって言っているというのではなかった。
本当に、一体なにをやっているのか、見当もつかなかったのであろう。
彼は、もう一度大きな声で同じ言葉を繰り返した。
このあたりから、客席に笑いが起こった。
客は圧倒的若い人が多いようであったが、その笑いは無粋な闖入者をとがめるものではなかったように思う
そういえば、本当にそうだよなあ。
感心して見ているフリをしているけれど、どこかに少し無理をしているものがある。
それを、素直に言いあてられて、ほっとするというか、急に力が説けたというか。
客席の笑いが大きくなり、もう一回同じことを叫びかけたうしろの男は、劇団関係者によって、おもてへつまみ出されていた。
女郎役の女優は、みなさん痛々しいほどの熱演であったが、一度温度の下った空気はもとへもどらなかった。
結局、耳に残ったのは、吹雪の音でも女の叫びでもなく、
「なに、やってんの」
という男の声であった。
新しい音楽。
新しい衣裳
新しい考え方。
正直いって、よく判らず、いいとも思えないのだが、そう言うと、オクレているようで気がひける。
「なんだ、こりゃ」
「なに、やってんの」
素面でこう言う勇気があればいいと思いながら、つい物判りのいい顔で笑っているのである。