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縦の会

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この間から本妻具合が悪かったのだが、この二、三日は全く駄目で物の役に立たない
情に於てはしのびないが、涙を呑んですてることにした――といっても万年筆のはなしである。
私は万年筆三本持っている。
三本の中で一番書き馴れたのを本妻と呼び、次に書き易いのを二号三番手を三号と呼んでいた。
テレビセリフは、ほーム・ドラマを多くかくせいであろうが、或る程度早く書かないとテンポが出ない。
それでなくても性急(せつから)なので、万年筆滑りがよく書き馴れたものでないとセリフまでいつもの調子が出ないようで焦々(いらいら)する。
そんなわけだから、本妻対しては「糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリサズ文字通り下にも置かぬ扱いをして来た。
どんな場合でも、本妻はうちの外に持ち出すことをしなかった。
旅先や外で原橋を書かなくてはならないときは、二号や三号と連れて行った
二号や三号は頼まれれば、他人貸したが、本妻だけは絶対に他人に貸さなかった。
ヘンな書き癖が移ると大変だということもあるが、万一、床に落とされでもしたら、という恐れがあったからである。
この本妻二号も、他人様からの掠奪品である。
「君はインク瓶の中に糸ミミズを飼っているんじゃないのか」
と言われるほど、だらしなく続いた字を書くせいか、万年筆も書き意味硬い細字用は全く駄目である。
大きな、やわらかい文字を書く人で、使い込んで使い込んでもうそろそろ捨てようかというほど太くなったのを持っておいでの方をみつけると、恫喝(どうかつ)、泣き落し、ありとあらゆる手段を使って、せしめてしまう。
使わないのは色仕掛けだけである。
出版社に勤めるかたわらラジオ台本を書き始めてから二十年になるが、映画評論家清水俊二氏からせしめたのを掠奪第一号として、以来十本以上の戦利品をものにして、これで間に合わせてきた。
三年間私を食べさせてくれたのは、某テレビ局ディレクターのものだし、二号は某婦人雑誌編集部敏腕女史愛用のものであった。
本妻が倒れたので、いずれは二号正妻となり、三号が二号格上げするわけだが、この三号だけが、私がお金を払って買ったものなのである。
買ったのはパリの街である。
オペラ座のそばに万年筆専門店があるのを見つけ、入ってみた。
長い間他人様のを狙って来たが、これでご飯を頂いているのである。
たまには身銭を切らなくてはと思ったのである。
英語の話せる金髪碧眼中年美女店員が、愛想よく世話をやいてくれる。
試し書きをしてもよいかとたずねると、どうぞどうぞと、店名の入った便箋を差し出した。
私は名前を書きかけ、あわてて消した。
稀代悪筆なので、日本の恥になってはと恐れたのである。
今頃半七さん」
私は大きな字でこう書いた。
少し硬いが、書き味は悪くない。
ところが金髪碧眼中年美女は、
ノン
優雅手つきで私の手を止めるようにする
試し書きにしては、荒っぽく大きく書き過ぎたのかと思い、今度小さ目の字で、
「どこにどうしておじゃろうやら」
と続け、ことのついでに、
「てんてれつくてれつくてん」
と書きかけたら、金髪碧眼は、もっとおっかない顔で、
ノンノン!」
万年筆を取り上げてしまった。
片言英語でわけをたずね、判ったのだが、縦書きがいけなかったのだある。
「あなたが必ず買上げてくれるのならかまわない。
しかし、ほかの人は横に書くのです。」
青目玉は激すると光って透明になる。
目の前三センチほどで抗議する青目玉を見ていたら、子供の頃遊んだビー玉を思い出した。
彼女白い指が、私から取り上げた万年筆で、横書きならかまわないと、サイン実例を示している。
それを見ていたら、東と西の文化違いがよく判った。
昭和ひと桁(けた)生れのせいか、横書き苦手である
電車の窓から眺める看板も、横書きになっていると、一度では頭に入らないことがある
大分前のことだが、
キノネエしょう油という看板をみかけて、随分謙遜したものだと感心したら、キノエネ間違いであった。
文章でも、横書きのものは、一度自分の頭の中で縦書きに直して読んでいる。
ところが若い人たちからくる手紙は、大半横書きなのである。
字も、お習字習ったというよりイラストである。
劇画画面の吹き出しで、「ギャは!」などと書いてある、あんな字なのである。
中にはイラスト入りのものもあるし、赤やグリーンなどさまざまペン書き分けたのもある。
形容詞英語で書いているのもまじっている。
この間も、ある名門女子中学に通っているお嬢さん方が遊びに来たので聞いてみたところ、三人三人とも縦書きは全く苦手だという。
縦書きノート使っているのは古文ぐらいかしら」
本当は横にしないと頭に入らないんだけど」
横書きにされては伊勢物語や土佐日記もびっくりだと思うが、彼女たちに言わせると、縦に書くと、字がだらしなく長くなって嫌だという。
「私は横に書くと、字が蟹(かに)みたいになるけど」
と言う私を、不思議そうに見て笑っていた。
民主主義辛いところは、多数決ということである。
このままでゆくと、日本はいずれ横書きの国になる。
週刊誌新聞も、区役所戸籍謄本もみな横になる。
縦書きは、神主さんの読む「祝詞(のりと)」ぐらいになってしまう。
それでもいいという人は幸せだが、私は駄目である。
多分何を読んでも、今の明治生れの人たちが、ほとんど英語案内の書かれた成田空港に来たように、自分の国に居ながら外国にいるような気分味わう違いない
だから私は、今のうちに、亡くなった某作家のひそみにならって、縦の会を作りたいな、と考えることがある。