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七色とんがらし

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野球狂の友人がいる。
勤め先野球チームを作ったのだが、予算が足りず、人数分のグローブミット揃わなかった
「本革」ということばが幅を利かせていた随分前のはなしである。
色も材質もも違う寄せ集めのオンボロで練習をしていたのだが、試合前にチーム一人耳寄りニュースを聞いてきた。
羽振りのいいあるメーカーの使い古しが倉庫眠っている。
よかったらお使い下さいというのである。
同じを古なら、チグハグより揃っている方がいい。
早速貰いに行き試合にのぞんだのだが、これが稀な珍ゲームとなった。
キャッチャーボールミットに受ける。
余端にキャッチャーバッターもくしゃみが出てしまうのである。
ピッチャー外野手も、グローブ叩いたボールを受けたりすると、ハーハーときて、ハークションとなってしまう。
相手側からクレームがついて試合中断止むなきに到った
どうもおかしいというので調べたら、道具一式をくれた気前のいいメーカーは、胡椒カレー戦後発展をしたところと判った。
野球道具は、倉庫眠っている間に商売ものの香辛料たっぷり吸い込んだのであった。
小さなしあわせ、と言ってしまうと大袈裟(おおげさ)になるのだが、人から見る何でもないちょっとしたことで、ふっと気持がなごむことがある。
私の場合七色とんがらしを振ったおみおつけなどを頂いていて、プツンと麻の実を?み当てると、何かいいことでもありそうで、機嫌がよくなるのである。
子供時分から、七色とんがらしの中の麻の実が好きで、祖母の中に入っているのを見つけると、必ずおねだりをした。
子供辛いものを食べさせると馬鹿になると言って、すしもわさび抜き、とんがらしも滅多にかけてはくれなかったから、どうして麻の実の味を覚えたのか知らないが、とにかく好きだった。
少し大きくなり、長女の私だけが、朝のおみおつけに、ほんの少し、七色とんがらしをかけてもいいと言われた時は、一人前として認められたようで、ひどく嬉しかった
母方祖父の一番の好物は、七色とんがらしであった。
名人かたぎの建具師で、頑固だが腕はかなりよかったらしい。
日露戦争生き残りで、乃木大将の下で旅順攻めた
私は戦後一時期、この人とひとつ屋根の下で暮したことがあるが、今から思うと、なぜ当時のはなしを丁寧に聞いて置かなかったのかと悔まれてならない
大体無口人間だったから、聞いたはなしといえば敵の砲撃激しくなると、兵隊たちの中で、居職のものは、つまり仕立屋とか時計職人とか、うちにいて食べられる者は、片手片足を上げて、
撃ってくれ!撃ってくれ!」
叫んだというはなしぐらいである。
祖父もをうしたのかどうかは知らないが、肩を撃たれ衛生兵にかつがれ後方におくられ一命拾った
面差しが死んだ志ん生に似ていたせいか、志ん生のひいきであった。
角力(すもう)も好きだったが、七色とんがらしは、この二つと同じ位好きだったらしい。
自分専用のとんがらしの容れ物を持っていて、おみおつけの椀(わん)が真赤になるくらい、かけるのである。
見ただけで鼻の穴がムズムズしてきた。
とても人間咽喉(のど)を通る代物と思えなかった。
このとんがらしが原因で、祖父はよく祖母とぶつかった。
頑固なくせに気弱なところのある祖父とは反対に、祖母は、気はいい癖に口やかましいたちであった。
そんなにかけたら、体に毒だよ」から始まって、「長い間かけてるから、鼻もなにもバカになってンだ」
決まりウンコースをやらないと、気がすまないらしかった。
祖父は、女房悪たれ戦術にはひとことも答えず、言われれば言われるほど、更に自分用のとんがらしを振りかけた。
黙々として赤いおみおつけをすする祖父の鼻の先が、まず赤くなり、それから顔中が赤くなり、汗が吹き出てくる。
顔もしかめず、くしゃみもせず、祖父はおみおつけをゆっくりと吸い終った
若い時分は、ただ職人かたぎのへそ曲りと思っていた。
だが、この頃になって祖父気持が判ってきた。
下戸で盃いっぱいでフラフラする祖父にとって、とんがらしは、酒だったのではないか
関東大震災のあとの建築ブームで、羽振りのいい時代もあった。
大きなうちに住み、沢山職人抱え親方と立てられた時代もあったが、人の請判(うけはん)をしたのがつまずきの始まりだった。
そのあとに戦争が来た。
ようやく乗り切ったと思ったら、職人として一番腕の振える全盛期バラック建築時代がぶつかってしまった。
気に入った仕事がくるまでは、半年でも一年でも遊んでいる、といった名人肌も、家族養うためには、折れなくてはならなかった。
昔なら見向きもしなかった小料理屋のこたつ櫓(やぐら)まで作った。
子供たちもあまり運がいいとはいえなかった。
頼りにしていた次男は肺を患って若死にした。
仕事場のまわりに進駐軍が出入りして、銘木平気ペンキ塗りたくるのを黙って見ていなくてはならなかった。
祖父は、愚痴をこぼす代りに、おみおつけのお椀が真赤になるまで、とんがらしを振りかけたのだ。
腹を立て、ヤケ酒をのみ、女房言い争う代りに戦争をのろい、政治家悪口をいう代りに、鼻を赤くして大汗をかいて真赤なおみおつけをのみ下していたのだ。
結局祖父は、ひとことの愚痴も言わず、老衰で死んだのだが、初七日終り、やっとうちうちだけで夜の食事をした時、祖母は、長火鉢抽斗(ひきだし)から、祖父のとんがらしを出した。
こんなに急に死ぬんなら、文句いわないで、とんがらしをおなかいっぱい、かけさしてやりゃよかったよ」
陽気な人だったから、こう言って大笑いをした。
笑っている目から大粒がこぼれていた。